アラサー独女の移住生活

東京茅場町のオフィスレディーが7センチヒールを脱ぎ捨て高知県土佐市に移住した記録。(飲兵衛は相変わらず)

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない

新年、明けましておめでとうございます。

去年は本当にお世話になりました。

 

 

さて、このブログを書きながらボロボロ泣いております。

 

思い出すだけでも心が痛いけど、感じた事を文字にしないといけない気がするので、ブログですが、書かせて頂きます。

重く、感情的なブログです。

尚、このブログに関する批判等は全く受け付ける気はありませんので、ご了承ください。

 

 

 

年末年始に鹿児島に一人旅に行ってきました。

帰省でもないのに、帰省ラッシュに巻き込まれました

 

初九州で初鹿児島でしたが、今回の旅の目的はただ一つ

知覧特攻平和祈念館を訪れる事でした。

昔から、両親に20代のうちに絶対に行けと言われておりました。

祖父が特攻隊だったので、家に寄せ書きやら紋章がありました。

祖父は出撃したのですが、途中で飛行機が故障して海に墜落し

生き延びました。

 

2年前に亡くなったのですが、戦争の事は全く語らなかった祖父ですが

どんな心境だったのかなぁと感じます。

もっと話聞きたかった。

 

 

鹿児島中央駅から知覧までバスで1時間20分

もう、バスの中から気持ちが重いというか、なんというか。

前から特攻隊に関する本は読んでいたので、多少は心の準備はできていたはずなのに

知覧に近づくにつれて、胸が痛い。

 

実際、バスを降りてから記念館に近付けず、お土産屋さんやおそばやさんの周りをうろうろしてました。

意を決して入りましたが、もう胸が痛いを通り越して、具合が悪い。

 

中に入ると、知覧特攻基地から出撃された方々の遺影と遺書、血書、寄せ書き、遺品などが展示されてます。

また、特攻作戦が始まるまでの経緯や説明、ビデオ上映に、語り部の方による説明などが聴けます。

 

歳少年で17歳

ボロボロの戦闘機にぎりぎりの燃料を入れて敵艦に突っ込んでいきました。

お国のため、愛する人のため、自分の命をささげる

行きたくない、怖い、死にたくないなんて言えません

 

遺書は感謝の言葉で溢れていました。

今から死にに行くというのに、凄く安らかな表情の写真が沢山あって。

 

 

 

 

「知覧からの手紙」という本をもう5回は読んでいますが、その穴沢大尉の遺書もありました。

婚約者に宛てた遺書です。

この婚約者である女性が、80歳を超えても大切に持っていたものが

この穴沢大尉のタバコの吸い殻でした。

「彼の唇に触れた唯一のものだから」と大切に60年以上持っていたそうです。

 

結局結婚できずに穴沢少尉は出撃します。

彼女は、あなたといつも一緒にいたいとマフラーを渡し、

穴沢大尉はそのマフラーを巻いて出撃されました。

 

自分の事は忘れて幸せに生きよと綴っているのですが、

最後には切実な気持ちが書かれています。

 

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便りを書きたい、書くことはうんとある。

然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。

至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。

純客観的な立場に立って言うのである。

当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本
 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭20・4・12
智恵子様
     利夫

智恵子よ、幸福であれ。

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。

自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。

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一通、印象に残った手紙は藤井一少佐が子供に宛てた遺書でした。

藤井少佐は教官だったので、特攻隊ではありませんでしたが、

教え子達を送って自分が特攻できないことを悔やみ、

特攻隊になる事を熱望します。

しかし、幼い子供が二人いる彼の希望は却下され続けます。

そうした中、奥様は幼い二人の子供と自分を紐で縛り、

「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、
 存分の活躍ができないことでしょう。
 お先に行って待ってます」

と遺書を残し、入水自殺します。

その後、藤井少佐の特攻は許可され、出撃されました。

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冷え十二月の風の吹き飛ぶ日
荒川の河原の露と消し命。
母とともに
殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、
一足先に父に殉じた
哀れにも悲しい。
然も笑っている如く喜んで、
母とともに消え去った命がいとほしい。

父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。
嫌がらずに、今度は父の暖かい懐で、
だっこしてねんねしようね。
それまで泣かずに待っていてください。

千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。

ではしばらく左様なら。
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。

では、一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、
それまで待ってて頂戴。

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お母さん、私は後二時間で祖国のために散っていきます。 

胸は日本晴れ。本当ですよ、お母さん。少しも怖くない。 

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。 

それは、今日私が戦死する。通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。 

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのではありませんか。 

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。 

お母さん。 

こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。 

しかしお母さん。 

考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければ、どうなると思いますか。 

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから 私が行くのですよ。 

母さん。 

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃を取るようになりますよ。 

だからね。お母さん。 

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。 

でもやっぱりだめだろうな。母さんは優しい人だったから。 

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。 

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展示してあるすべての遺書を読む事はできませんでしたが、

読んだ中に、愚痴や不満など一切ありませんでした 

 

感じる事が凄く沢山あって、

両親への感謝もですし、今の自分の在り方だったり

 

小さな事に不満を言ったり、言い訳をしている自分が恥ずかしくなりました。

 

 

本当に行けて良かったです。

また今年中に行けたら良いなと思いました。

 

 

 

 

 

鹿児島の人は暖かくて、おっとりしていて親切な方ばかりでした。

結局延泊して高知に帰ってきました。

 

今年は本当に突っ走る事が多くなる年やと思います。

自分の意思をぶらさずに、毎日を丁寧に生きていきたいと思います。

 

それではみなさん、今年も宜しくお願い致します。